公開: 2019年8月23日
更新: 2019年8月xx日
張作霖は、清国に代わって中国を治めた中華民国の初期に活躍した中国東北部出身の軍人政治家です。元々は、馬賊と呼ばれる武装した民間人でつくる非合法組織の指導者でした。日露戦争では、張作霖は、ロシアのスパイとして活動していました。この時、日本軍に捕まりましたが、日本軍の高官に認められて、日本のスパイとしてロシア側の情報を収集し、日本側へ伝えました。
1905年に日露戦争が終わると、張作霖は清朝へ帰順して約2,000名の軍の部隊長となりました。この時、馬賊として名前が知られていた張作霖の下には、数多くの馬賊が集まっており、一大勢力を形成しました。その後、モンゴルとの境界地域において、地域の安全確保に力を尽くし、清朝でも認められる存在になりました。
1911年に山東省で革命勢力の蜂起があり、張作霖も兵を率いてその制圧に参加しました。しかし、1912年に清朝が滅びると、張作霖は中華民国の陸軍師団長に昇進しました。この頃から、張作霖は現地勢力の利益代表として影響力を強めていました。1916年に中華民国の袁世凱が死ぬと、張作霖は奉天省の支配権を獲得し、満州の覇者と呼ばれるようになりました。1926年には、張作霖は北京で大元帥に就任し、共産党と戦う意思を示し、国民革命軍との戦闘を指揮しました。このことから、欧米の勢力との関係が良くなり、張作霖は欧米の政策に追随するようになりました。